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大阪高等裁判所 昭和41年(う)1306号 判決 1968年2月28日

控訴人・被告人 藤野金属工業株式会社 外一名

弁護人 金井塚修

検察官 森井英治

主文

原判決を破棄する。

被告人及び被告会社はいずれも無罪。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴の弁護人金井塚修作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第二点及び第三点について。

論旨は、原判決の法令解釈適用の誤及び事実の誤認を主張するのである。

原判決の認定した事実は、「被告会社は、京都市南区東九条南石田町五七番地に本店事務所及び工場をおき、自動車車体部品製作販売等を事業目的とするもの、被告人藤野良蔵は、同会社代表取締役として同会社の業務一切を統轄掌理しているものであるが、被告人藤野良蔵は、被告会社の業務に関し、昭和三八年八月より同三九年一二月までの間、前記会社において、社団法人日本熔接協会の行なう熔接技倆資格検定試験受験希望の労働者南登ほか三五名に、『右試験合格、不合格の如何にかかわらず、合格、不合格決定の日から一年間は退職しない。もし右期間内に退職する場合は、右受験のための練習費用等として三万円を支払う。』旨の誓約書を提出させ、もつて労働契約の不履行につき損害賠償額を予定する契約をしたものである。」というのである。

よつて案ずるに、労働基準法第一六条にいわゆる違約金とは、広く契約不履行に対する制裁として違反者が相手方に支払う金員を指称し、労働契約においては、主として契約期間の途中で転職、逃亡などした労働者やその親元などに課せられるものであり、損害賠償額の予定とは、契約違反、不法行為の場合にその相手方ないし被害者が蒙る損害をあらかじめ一定して置き契約違反ないし不法行為の起つたときに、一々損害額を計算し証明する労を省くためのものであるが、同条において労働契約の不履行につき、これらの違約金又は損害賠償額を予定する契約を締結することを禁止するゆえんのものは、使用者が労働者に対して雇用関係の継続を不当に強要するおそれがあるからであるところ、労働関係において、使用者が被よう者の願出により技量資格検定試験受験のために社内技能者訓練を実施し、使用者において、材料費を含む練習費用、部外講師並びに部内熟練工による指導費及び検定試験に要する費用などを支弁し、その計算の範囲内において金額を定め、合格又は不合格の決定後約定の期間内に退職するときは、右の金員を使用者に返済し、約定の期間就労するときはこれを免除し、なお所定の報賞金を追加支給する旨の特約をすることは、その費用の計算が合理的な実費であつて使用者側の立替金と解され、かつ、短期間の就労であつて、全体としてみて労働者に対し雇よう関係の継続を不当に強要するおそれがないと認められるときは、労働基準法第一六条の定める違約金又は損害賠償額の予定とはいえないと解する。これを本件について見るに、原審で取り調べた証拠に、当審における事実取り調べの結果を総合すると、被告会社では、従来工員の福祉と会社の業務向上を図るため、工員に対して日本熔接協会が行うガス、電気熔接工技量資格検定試験(JISZ三八〇一による)の受験を勧奨し、試験官の出張試験を行つており、そのため希望者に対し約二ケ月間にわたる講習を実施し、練習費用や受験費用などを会社が支弁していたが、合格した工員が程なく退職するにおいては所期の目的を達成し得ないこともあつて、合否決定の日から一年以内において退職する場合には、右経費三万円を会社に返済させる旨の誓約書を受験希望者本人並びにその親権者から徴していたこと、誓約書(押収物当庁昭和四一年第三六三号1-3)には、「今般熔接技量資格検定試験受験のための特別教育及び練習に参加したくお願い申上げます。尚受験の結果が合格、不合格の如何にかかわらず、合格、不合格決定の日より向後一年間は退職致しません。もし期間内に如何なる事情によるとも退職致します際は、検定試験に要した費用、練習費用、特別教育費用の一切の費用は会社へ返済致します。右の通り本人及び親権者連名にて誓約致します。条件費用金額計金三万円也(実際は三万円以上の費用を要しますが万一の場合のため一応三万円と規定します)、合格証明書は本人の所有となります」と記載され、被告会社取締役社長藤野良蔵宛に本人及び親権者連名で作成提出されたものであつて、右誓約書は、会社と従業員組合との間に承認されており、なお、会社と従業員組合との間では、特別報賞金支給規定を作つて、熔接技量報賞金として毎月一級一、五〇〇円、二級一、〇〇〇円、三級五〇〇円を支出することとし(同6)、熔接資格検定試験受験誓約書は毎年検定試験練習にはいる八月末又は九月に会社へ提出するが、右の三万円は、会社と本人との間の貸借関係であり、退社したい人は、いつでも自由に退社することができるが、三万円は返済する旨の申合せをしていること(当審証人橋本義視、同林鳩子、同荒木和久の各証言)がそれぞれ明らかである。そこで、かような特約が労働基準法第一六条に違反するか否かということになるのであるが、当審証人橋本義視は第二回公判期日において「私は、被告会社の従業員で、民間金属統合労働組合近畿地区藤野支部の組合長である。熔接技量資格検定試験を受けたい組合員は申し出よというので、希望者はガス又は電気にわけて申込みをする。会社の方では、材料をあてがい、酸素、ガス、熔接器具を貸与して三ケ月間受験の準備をさせる。毎日一時間から二時間程度で試験に合格した者が指導し、部外の先生例えば高校の先生のような専門家も、週に二、三回来て指導するが、費用は会社が出してくれる。受験のための費用は組合の方でやつた概算によると、三ケ月間一時間ないし一時間半くらいの練習をすると、七、八万円かかると思つている。熔接は平板のつなぎ合せだけでなく外曲げ、内曲げをして熔接面の痕の大きさが七ミリ以上であるときは不合格である。免許の種類は一級、二級、三級の種類がある。誓約書に記載されている三万円は、費用の一切を会社が貸すのだから退社するときは返済しなければならないという意味であり、一年間退職しないという意味は、一年間就労すれば支払わなくてもよいという意味である。なお、右の誓約書に、一年間は退職しませんという字句があり、従業員の中に、三万円払わなければやめられないと解釈した者がいたので、会社と組合との間において、右の三万円は「会社と本人との間の貸借関係であり、雇よう関係とは別であるから、退社したい者はいつでも自由に退社してもよいが、貸金の立前である三万円は返金する。但し返金しないから退社させないというわけではなく、従業員の誠意にまつだけのことである」旨の申合せをし、その趣旨は誓約書を書く前に従業員に説明されている。従つて、誓約書があるために退職できないと不満をもらした人はない。五、六年の間に一年以内でやめた者が五、六人いるが、三万円は強制的ではないので、返した者もあり、返さなかつた者もある。やめたい者は会社に出て来ず、かつてにやめていく。この金を返すのがいやだからやめられないということはない。私の方では、誓約書による拘束というようなことは考えられない」旨証言し、当審証人林鳩子は、「私は昭和三八年ころから二年間被告会社の総務部長をしたことがある。工員は五〇名くらいであつたが、中学校卒業者で、職業安定所を介して現地の学校へ行き採用試験をし年間一五名くらいの新規採用をした。定着率はよく退職者はあつても少なかつた。入社後三年間洛陽高校で使用した教科書で学科を教え、実技を指導し、年一回出張試験をしてもらい、熔接技量資格検定試験を受験させていた。指導は作業が終了してから一時間ずつ有資格者が一名ずつついて養成した。外部講師には会社から謝礼を出していた。試験に要した練習費用、特別教育費用等は実費で一人あて四万四円かかるのである。誓約書は私が社長と相談して起案したものである。会社としては折角費用をかけて技量資格検定試験に合格させても、他会社から引抜かれたりして、すぐやめられたのでは、会社の欠損になるところから、せめて一年間は退職しないと書いた。それは、二年も三年もというと拘束することになるが、一年くらいは誰が考えても当然のことだと思つたからである。退社するなら会社が立替えた金のうち三万円だけ返済してもらい、続けて勤務する人には報賞金を出すことにした。内容を誤解されても困るので組合との申合せ事項としたが、会社に三万円返済するというのは貸金を返済してもらうのであるから、違約金でもなければ、損害賠償額の予定でもない。私は、悪いことだと思つていないから労働基準局の方にも職業安定所の方にも学校の先生にも見せている」旨証言し、当審証人上家康夫は、「私は宮津職業安定所に勤務しているが、被告会社は昭和三七年ころから中学卒業者の求人申込みを受けて知つている。昭和三九年九月頃、藤野金属の従業員の父兄から会社に対し時間外労働その他の事で苦情と改善方要望があり、京都七条の職業安定所の塚本事務官と同道し藤野金属の社長と話し合い舞鶴から来ている従業員とも会つて激励した。その時、熔接訓練に関する誓約書を見た。途中でやめると費用を返さねばならないということにしていると社長から聞いた。実際費用を使つておるのだからやむをえないんぢやないかぐらいに考えた。私個人の考えだが、無茶苦茶にきついとか違反のようなことであればその場でやめてくれと言つたはずである。」旨証言し、当審証人樋口国夫は、「私は被告会社の工員であるが、誓約書を書く前に社長から説明をうけた。熔接検定試験を受けたいものは書いて出せということであつた。一年間退職したらいけないということではなく、一年間勤めれば三万円は会社からもらえるが一年以内にやめると三万円返すということであつた。受験訓練は、作業が終了してから一時間くらいで、班長、組長が教えてくれる。学科は外部から先生が来て教わつた。やめたくてもやめられないという拘束はない。練習費用、教育費用、ガスその他器具の使用料等の実費は、三万か四万くらいかかるんじやないかと思う。その練習は、会社の仕事としての練習を兼ねているわけではなく、本当の練習だけである」旨証言し、鑑定人立川四郎(社団法人日本熔接協会西日本事務局長)作成の鑑定書には、「熔接練習費用は、鉄板一人当り二万四、三〇〇円、酸素一人当り二、三〇四円、アセチレン一人当り五、〇五四円、熔接棒などの仕上費用三、二一三円、試験費用一、四〇〇円、受験料八〇〇円、認定料五〇〇円、講師謝礼一、六〇〇円、受験に関する手数料一〇〇円、実技指導料五、八二〇円、合計四五、〇九一円が妥当であるが、材料が新品を使用せずスクラップその他余材を使用した場合は零と考える」旨記載があり、当審証人荒木和久は「私は、昭和三二年三月被告会社に入社し、三年くらいたつて日本熔接協会の熔接技量資格検定試験を受け、アーク熔接の二級に合格した。受験勉強があつて、作業終了後、学科は外部の先生が来て指導し、実地の練習は会社の援助で有資格者が指導してくれた。誓約書は知つている。会社が受験について三万円費用がかかるのを立替えてくれるから希望者があれば受験してよい。その三万円は一年以内に退社するときは返済するということである。私は組合の役員であつたが、自由にやめてもかまわないということに会社との話合いで決まつていた。金の返済は会社との話合でどうにでもなると私は思つている。事実金を払わずにやめた者もあると聞いている。私は三万円は会社から立替えてもらつているのだから貸借関係と雇用関係とは別であると、社長や労務の林さんから聞いていた。人に借金しておれば払つてやめるのが人道的であると考えていた。一年たてばご破算になるとの話も知つていた。やめるときでも三万円払つたらしまいやないかという気楽な気持で受けていた。会社に三万円立替えてもらつたのだからやめてはいけないとは考えなかつた。三万円の金額は材料等を計算してそれくらいの費用が要ると思つた。」旨証言し、当審証人由田良治は「被告会社に勤務していた昭和三八年一二月頃ガス熔接の試験を受け、その講習を受けるため誓約書を出したが、免状が来てから一年以内に会社をやめようと思い組合長に相談しそれから社長に会つた。社長は、もう一月たてば三万円払わなくてもよいことになるからそれまで会社に居た方がとくだと言われ、一年たつてからやめた」旨証言しているのであつて、以上に徴すると、近時、高度な産業経済界の発展を見るに至つて、中小企業においては全体が従業員の確保に悩み、自ら養成した優秀な従業員も大企業に引き抜かれるため、事業主は、あらゆる努力を払い便宜を供与して従業員を優遇し、その足止めに努めている実情であるところ、被告会社においても同様に、従業員の福祉と会社企業の伸展を期し、従業員の優遇措置として希望者をつのり、熔接技量資格検定試験受験のための社内技能者訓練を実施しその受験準備のために、約二ケ月にわたり学科については外部から講師を招いて教育し、実地訓練については会社内部の有資格者を配して指導訓練をして来たこと、その訓練費用、教育費用並びに受験費用はすべて会社において一応、支払いをし、検定試験に合格した者が引き続き就労することを期待し、一年以内に退職するときはその金員を返済するが、一年間の就労によりその金員の支払いを免除し、なお毎月報賞金を追加支給するなどの優遇方法を講じていること、右の金額は、鑑定書中材料の鉄板について新品の半額と見積れば金三二、四四一円となり、金高において、合理的な実費の範囲内であつて相当であり、その性質は、会社が講習を希望する従業員に対する訓練費用の立替金であると認められる。そして「一年間は退職致しません」という条項は、労働を強要する字句のように解されるおそれがあり措辞妥当を欠くきらいがあるけれども、それは工員の誠実な就労を期待する意味であつて、立替金を返済するときは、何時でも退職することができることは、工員に対し十分説明されており、その期間が短期間であることと総合し、労働者に対し使用関係の継続を不当に強要するものとは考えられない。従つて、本件の誓約書は、労働契約の不履行につき違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしたものとはいえない。原判決は返済金の性質について事実を誤認し、ひいて法令の適用を誤つたものであつて、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつてその余の論旨を判断するまでもなく刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八二条により原判決を破棄し同法第四〇〇条但書により更に判決する。

本件公訴事実は、被告会社は、京都市南区東九条南石田町五七番地に本店事務所及び工場をおき(その後肩書地に移転)。自動車車体部品製作販売等を事業目的とするもの、被告人藤野良蔵は、同会社代表取締役として同会社の業務一切を統轄掌理しているものであるが、被告人藤野良蔵は、被告会社の業務に関し昭和三八年八月より同三九年一二月までの間前記会社において、社団法人日本熔接協会の行なう熔接技倆資格検定試験受験希望の労働者南登ほか三五名に「右試験合格、不合格の如何にかかわらず、合格、不合格決定の日から一年間は退職しない、もし右期間内に退職する場合は、右受験のための練習費用等として三万円支払う。」旨の誓約書を提出させ、もつて労働契約の不履行につき損害賠償額を予定する契約をしたものであるというのであるけれども、以上の理由により本件は犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第四〇四条、同第三三六条により被告人及び被告会社に対しいずれも無罪の言渡しをなすべきものとし、主文第二項のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山崎薫 裁判官 竹沢喜代治 裁判官 大政正一)

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